アウシュヴィッツ=ビルケナウの訪問記【ポーランド】
2025年10月11日〜10月19日のポーランド旅で訪れたアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の訪問記。
オシフィエンチムについて

オシフィエンチムは、クラクフと同じマウォポルスカ県にある都市。
元々は歴史のある普通の地方都市だったが、鉄道の結節点でありヨーロッパ各地からのアクセスが良かったため、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによってアウシュヴィッツ強制収容所が建設された。そこで悲惨な出来事が起こったことは有名で、アウシュヴィッツの名前を知らない人は少ないと思う。
ちなみに、アウシュヴィッツというのはオシフィエンチムのドイツ語の都市名。 この記事では、都市名は「オシフィエンチム」、強制収容所名は「アウシュヴィッツ」と使い分けることにする。

アウシュビッツ強制収容所について

1940年に設立されたアウシュヴィッツ強制収容所は、当初ポーランド人政治犯を収容するために建設された収容所だったが、やがてナチスは、ロマ(ジプシー)やソ連軍捕虜も収容所に送るようになり、1942年からは大量のユダヤ人が移送され始めた。
1945年に解放されるまでに、アウシュヴィッツ収容所には少なくとも130万人※が連行されたと推定されている。重労働、飢餓、伝染病、拷問、そしてガス室での毒殺などによって、約110万人※が犠牲になったと言われている。
※犠牲者の数はアウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館の展示に記載されていた数字

ヨーロッパの交通の要所であったオシフィエンチムに建設されたアウシュヴィッツ強制収容所は、ナチス・ドイツが建設した強制収容所の中でも最大規模で、主に3つの収容所で構成されていた。
第1収容所⋯1940年に元ポーランド軍の基地内に建設された最初の収容所
第2収容所(ビルケナウ)⋯ブジェジンカ村(ドイツ語名でビルケナウ)に建設されたアウシュヴィッツ最大の収容所
第3収容所(モノヴィッツ)⋯ドイツ化学企業の工場の労働者を収容するために建設された労働収容所
3つの収容所のうち、第1収容所と第2収容所にはガス室が設けられ、運ばれてきた人々を殺害する、いわゆる「絶滅収容所」としても機能していた。特に第2収容所は巨大で、アウシュヴィッツ収容所の犠牲者の約90%が第2収容所で亡くなったとされる。
第1収容所と第2収容所の跡地は、1947年から国立博物館として維持・公開されており、過去の悲劇を学ぶために世界中から多くの人が訪れている。
世界遺産としてのアウシュヴィッツ強制収容所

登録名:アウシュヴィッツ=ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940-1945年)
登録年:1979年
登録区分:文化遺産
登録基準※:(6)
※世界遺産に登録されるためには(1)~(10)の登録基準を1つ以上満たす必要がある。
(1)~(6)は文化遺産基準、(7)~(10)は自然遺産基準。
登録基準とその内容(私が[UNESCOのサイト](https://whc.unesco.org/en/list/31)を見て要約したもの)を書いていく。
(6)歴史的出来事や伝統、宗教・芸術などと直接関連するもの →ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺が起こった場所で、人類史に残る犯罪の証拠
ナチス・ドイツが建設した強制収容所の中でも最大規模であり、大量虐殺が行われた施設が比較的状態よく保存されていたことから、他の類似の施設を象徴するものとして世界遺産に登録されている。
見学予約

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の見学は、ガイドを付けて見学することが推奨されており、私もガイド付きで訪れることをオススメする。
というのも、施設内の展示は説明が少ない上、ガイドを付けずに見学する場合、夕方遅くからしか入場ができないようになっている。
英語が堪能であれば、公式サイトで英語ガイドを予約すればいいが、私はガイドの説明を理解できるほどの英語力はないため、日本人ガイドの中谷さんにお願いすることにした。
中谷さんに依頼
中谷さんにガイドをお願いするには、公式サイトではなく中谷さんにメールで連絡をする必要がある。中谷さんにガイド希望日を伝えると、ガイドの日の10日前までには開催の有無を連絡してくれるという流れ。
ブログに連絡先を掲載する許可を頂いたのでメールアドレスを下に記載しておく。
中谷さんのメールアドレス
takeshi.nakatani@icloud.com

第1候補日は無理だったが、ほかの候補日でガイドをしていただけることになった。ガイドを依頼する候補日はなるべく多くしたほうがいい。
私は候補日を含む4日間クラクフに滞在することにし、アウシュヴィッツ見学日がいつになってもいいようにホテルだけ予約して、見学日が決まり次第ほかの予定を決めていった。
クラクフからオシフィエンチムへ

バスが苦手な人と一緒に旅行していたため、クラクフからオシフィエンチムまでは電車で移動した。所要時間は1時間ほどで、クラクフ中央(Kraków Główny)駅から電車が出ている。
帰りの電車の時間が読めないこともあり、今回はネットで購入せず、駅の券売機からチケットを購入した。運賃は片道17PLN(≒700円)くらいだった。
クラクフからアウシュビッツ=ビルケナウ博物館まで直接行くことができるバスもあるらしい。
オシフィエンチム駅

駅で降りる人はあまりいなかった。クラクフからバスで直接アウシュビッツ=ビルケナウ博物館へ向かう人が多いようだ。
ちなみに、オシフィエンチム駅に電車が来るときの音は、山手線の電車が来るときの音楽と一緒。
駅から博物館へ

駅周辺はケバブ屋以外ほとんど何もない。とはいえ腹ごしらえが必要だったので近くのショッピングモールに入ってみたが、KFCと中東料理店があるくらいで、少し歩いたところのマクドナルドへ行くことにした。
日本のサムライマックのようなバーガーのポーランド版を期待していたが、ポーランドはそんなものはなく、マックロイヤルというバーガーを食べた。

小雨が降る中、マクドナルドからアウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館までは徒歩で向かったが、道中は家や集合住宅があるだけで、ほとんど人が歩いていなかった。

博物館入場棟

中谷さんから集合場所に指定されたのはアウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館の入場棟。
見学には大きな荷物は持ち込めないため、荷物が大きい場合はここでロッカーに預ける必要がある。

エントランス付近で待っていると、無事中谷さんと合流できた。一緒に見学する人は20人くらいで全員日本人だった。
想像していたより人数が多くて、中谷さんの解説の声が聞こえるか心配だったが、一人一人に配られた無線機とイヤホンで中谷さんの声を聞くスタイルだったので問題なかった。
入場棟で荷物検査を終えると、見学が始まる。
収容所の犠牲者の名前が一人ひとり読み上げられている専用通路を進むと、いつの間にかアウシュヴィッツ第1収容所に到着していた。
アウシュヴィッツ第1収容所

「ARBEIT MACHT FREI」(ドイツ語で「働けば自由になれる」)と書かれた門をくぐり、アウシュヴィッツ第1収容所へ入る。実際には、多くの人が死ぬまで働かされた。

第1収容所の収容棟はレンガ造りの立派な建物。ポプラ並木も美しく、今写真を見返してもきれいな場所だなとさえ思うが、収容所を取り囲む有刺鉄線を見てここが収容所だったんだと少し実感できる。


収容棟の展示

各収容棟の中は資料館となっており、中を中谷さんが案内してくれる。
記憶が正しければ、中谷さんに案内していただいたのは次の4棟。
- 4号棟:絶滅計画の概要やガス室の説明など
- 5号棟:ナチスが略奪した犠牲者の遺留品
- 7号棟:当時の収容所内の様子
- 11号棟:国家秘密警察ゲシュタポの部屋や地下牢獄


クレマトリウム

ガス室と焼却炉が一体化した施設を「クレマトリウム」といい、復元されたクレマトリウムの中に入ることができる。
第1収容所の中で一番重たい雰囲気の場所だった。


見学ルート

記憶が正しければこのようなルートで見学した気がする。
第1収容所の見学が終わるとバスで第2収容所へ向かった。
アウシュヴィッツ第2収容所

第2収容所(ビルケナウ)は第1収容所から2kmほど離れている収容所で、第1収容所とは比べ物にならないほど広い。ここで100万人ほどの人々が亡くなったと言われている。

「死の門」を通って第2収容所に運ばれた人々は、列車から降ろされた時に労働力として使うか、殺すかを決められ、殺される人たちはガス室で殺されたという。
ここにはクレマトリウム(ガス室+焼却炉の施設)が4基も存在していた。
クレマトリウム

鉄道の引込線の延長上には2つのクレマトリウムがあったが、いずれも証拠隠滅のためにナチスが爆破したため、ほとんど原形をとどめていない。
第1収容所にあったものと比べてかなり規模が大きい。

収容棟

レンガ造りで頑丈そうだった第1収容所の建物と異なり、第2収容所の建物の多くは木造だったため、戦後に建築資材として持ち去られたらしい。
そのため、建物があった場所には暖炉と煙突だけが残っている。

冬のオシフィエンチムはかなり冷えるそうで、寒さによって命を落とした人も多かったという。
寒さで亡くなるなんて想像もつかないが、最近寒い日に1時間ほど外にいただけで風邪を引いた。私のような人間はすぐに死んでしまうのかもしれない。
見学ルート

中谷さんによる3時間の案内はあっという間に終わってしまった。
案内終了後はここで解散となる。同伴者が博物館入場棟に荷物を預けていたので、無料のシャトルバスで入場棟に戻ってから駅に向かいクラクフへと帰った。
中谷さんの本

帰国後に中谷さんが執筆された2冊の本を読んだので紹介する。
『ホロコーストを次世代に伝える』
アウシュヴィッツ博物館の歴史、中谷さんのガイドとしての経験や思いについて書かれた本。収容所の説明もあるが、『アウシュヴィッツ博物館収容所』ほどは詳細に書かれていないので、アウシュヴィッツについて何も知らない人は。訪れる前に一旦読んでおくのも良いかもしれない。
私は書店で購入したが、電子書籍でも発売されている。
『アウシュビッツ博物館案内』
中谷さんが現地で案内している風の解説と写真でアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所について詳細が学べる本。
見学では回りきれなかった場所や非公開の施設の解説もあるので、情報量だけでいうと3時間の現地見学よりも多い気がする。訪れた後に読むことでより知識が深まると思う。
残念ながらこの本を書店で見つけることができなかったので、図書館で借りて読んだ。
感想
アウシュヴィッツ=ビルケナウを訪れてみての感想を書いていく。
①中谷さんに案内してもらえて良かった

現地で中谷さんから「ここは博物館であると同時に、犠牲者のお墓でもあります。」と聞いた時にハッとしたのを覚えている。中谷さんに言われるまで、誰かのお墓にいるということを自覚していなかったからだ。
施設や説明だけでなく、なぜホロコーストが起きたか、今を生きる人間が何を考えるべきかなどを案内の中で語ってくれる。日本語で貴重なお話を聞くことができてよかった。
②男性の訪問者が少なかった

見学したグループは20人ほどだったが、そのうち男性は2〜3人しかおらず、比率の偏りに驚いた。
今回たまたま男性が少なかっただけかもしれないが、中谷さんの書籍のなかでも「男子学生より女子学生の方が多い」と言及されていたので、そういう傾向はあるみたいだ。
③学びのきっかけになる

アウシュヴィッツ強制収容所を訪れる前後に、関係する本を2冊読み、映画を2本ほど見た。アウシュヴィッツを訪問しなければ手に取らなかったかもしれない。
次は案内の中で中谷さんに勧めていただいた『アンネの日記』を読んでみたい。
オススメ度
★★★★☆
星4
アウシュヴィッツ強制収容所から生還し、長年にわたり博物館の館長を務められたポーランド人のスモレンさんが2012年に亡くなったそうだ。今後、収容所での暮らしを経験した生き証人たちは減っていくだろう。
そんな方々から直接話を聞いた中谷さんの話を聞けたのはとても貴重な経験だったと思う。
その中谷さんもいつまで案内をされるのかは分からない。近くに行く人はぜひ訪れてほしいし、ポーランドは遠いなと思う人は、近くの図書館に行って本を読むことをオススメしたい。
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